2015.06.23
国会では激しい舌戦が続いています。ここのところしばしば報道されていますが、砂川事件の最高裁判決に言及した与党の議論について、その経緯や背景を少し考えてみたいと思います。簡単に言うと、砂川事件の最高裁判決は集団的自衛権を認めているというのがその主たる主張です。中心的な論陣を張っているのは例によって自民党の高村副総裁ですが、この問題について少し考えてみましょう。再び6月11日の憲法審査会。高村副総裁は砂川事件における最高裁判決を次のように要約しています。
①憲法前文の「平和的生存権」を引いた上で、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないと言っている。②しかも、必要な自衛の措置のうち、個別的自衛権、集団的自衛権の区別をしていない。つまり、集団的自衛権の行使は認められないなどとは言っていない。③我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有するものについては、一見極めて明白に違憲無効でない限り、内閣及び国会の判断に従うと明確に言っている。
こんなところでしょうか。さらに遡ると、2014年3月31日、自民党安全保障法制整備推進本部の初会合で、ほぼ同様の趣旨で次のように述べています。
最高裁判所は自衛権について、1959年の有名な砂川事件判決において、個別的とか集団的とか区別をしないで、自衛権については、国の平和と安全を維持し、国の存立を全うするための措置は当然とり得る。そしてその前提として、固有の権利として自衛権というものは当然持っているとも言っているわけであります。私の知る限り、この判決が、最高裁が自衛権について述べた唯一無二の判決でありますから、当然この法理に基づいて解釈する。言葉を代えれば、この法理を超えた解釈はできない、この法理の中であればこういうことだとなります。
では次に砂川事件の最高裁判決(最大判昭44.12.16)を確認してみましょう。この裁判では、日本に駐留するアメリカ軍の位置づけが争点となりました。判旨としては、①憲法9条は自衛権を否定しておらず、外国の駐留軍隊は「戦力」にあたらない、②日米安保条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない、というものです。ちなみに多少長いですが、判決文では次のように述べています(以下、下線は大賀。以下同じ)。
すなわち、九条一項においては 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決 する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条二項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦 権は、これを認めない」と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。
このように、憲法9条は自衛権、自衛のための措置を禁止してはいない、と判断しています。ところが重要なのはこの後の部分です。
すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの 安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
憲法9条2項の結果として戦力を保持しないのであるからその結果として防衛力の不足が起こることは避けられない。そこで、国連の集団的安全保障をはじめ、「他国に安全保障を求めること」を禁止しているわけではない、ということになります。言い換えれば、文脈的に「わが国の防衛力」や「わが国の平和と安全」が問題になっているわけですから、ここで認められる自衛権とは個別的自衛権(すなわち、直接的に武力攻撃を受け、「わが国の防衛力」や「わが国の平和と安全」が危機に瀕した場合を想定)に他ならず、その上であくまでも駐留米軍の存在は(わが国の個別防衛という観点から)違憲ではないということを判断したものになります。ここで、「わが国と密接な関係がある国が攻撃され、そのまま放置すれば、 日本が直接攻撃された場合と同様の、日本の存立や国民の生命等守れない死活的かつ深刻な事態」という「存立危機事態」はまったく想定されていません。仮にここで限定的ながらも集団的自衛権、すなわち存立危機事態を想定しているのであれば、当該事態は「わが国の防衛力」「わが国の平和と安全」「わが国に駐留する合衆国軍隊」とは直接関係のない第三国において発生するわけですから、「わが国の防衛力」「わが国の平和と安全」「わが国に駐留する合衆国軍隊」を正当化する論拠とは別の論拠が必要となります。しかし、判決文では集団的自衛権や存立危機事態にあたる論証は一切見られません。
この砂川事件は、第一審(東京地判昭44.3.30)が駐留米軍は戦力にあたり違憲であると判断したところ検察側が跳躍上告を行い、さらにこの間アメリカ政府の外交圧力があったりとその背景には少なからず政治的な背景があります。そういう事情もあって、最高裁判決では自衛権を認め、駐留米軍を認め、さらには統治行為論を展開して違憲判断を回避します。
さらに、これを受けて昭和47年政府見解や昭和56年政府答弁では集団的自衛権の行使を否定してきました。
昭和47年の政府見解、すなわち「 集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料」
(昭和47年10月14日参議院決算委員会提出資料 )に拠れば、「わが憲法の下で武カ行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」としています。
さらに昭和56年政府答弁(衆議院議員稲葉誠一君提出「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する質問に対する答弁書、昭和56年5月29日内閣総理大臣鈴木善幸)でも「集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている。」と述べています。
このようにこれまで否定されてきた集団的自衛権ですが、この集団的自衛権が容認される、しかもそのことは砂川事件判決によって認められているというのが高村発言の主旨になります。
前置きがかなり長くなりましたが、ここではさらに「砂川事件の最高裁判決は集団的自衛権の行使を認めている」という言説がいつ頃出現したのかということを、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の議論を元に考えてみたいと思います。
安保法制懇は、内閣総理大臣の私的諮問機関で2007年5月、第一次安倍内閣時に組織され、2008年6月に第一次報告書を上梓しています。同懇談会は第二次安倍内閣発足後の2013年2月より再開され、同様に2014年5月に第二次報告書を公表しています。
最高裁の砂川事件判決は集団的自衛権を認めているとの主張は第二次安保法制懇の報告書(2014)からします。砂川事件については第一次安保法制懇の報告書(2008)では言及されていません。
どういうことかと言うと、第一次報告書では砂川事件には触れず、47年政府見解・56年政府答弁に疑義を提起しながら、集団的自衛権を行使しないことについて「国民の理解を十分に得られていない」としているに過ぎません(21頁)。あとは国際法上は集団的自衛権は認められている、安全保障上は集団的自衛権は不可欠というお馴染みの議論です。
対して第二次報告書(5頁)では砂川事件について次のように述べています。
この砂川事件大法廷判決は、憲法第9 条によって自衛権は否定されておらず、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を採り得ることは国家固有の権利の行使として当然であるとの判断を、司法府が初めて示したものとして大きな意義を持つものである。さらに、同判決が、我が国が持つ固有の自衛権について集団的自衛権と個別的自衛権とを区別して論じておらず、したがって集団的自衛権の行使を禁じていない点にも留意すべきである。
この辺りになると、高村発言にかなり近づいてきます。なおこの安保法制懇の会議資料を見ますと、2013年9月17日の第二回会合時の配布資料の中に砂川事件についての言及が見られます。その後、第二次報告書が2014年5月15日に提起され、さらに7月1日に集団的自衛権行使容認の閣議決定がなされますが、閣議決定では砂川事件の解釈については一切触れていません。つまり、この砂川事件の解釈について2013年9月17日の会合で提起され、ほぼ同様の主旨のことを2014年3月31日の党の会合で高村副総裁が発言し、それが第二次報告書(同5月15日)でも提起されますが、結局7月1日の閣議決定では触れられず、今年になって改めて高村さんが取り上げたものということになります。
この辺は事情がかなり込み入っていて難しいところがありますが、かなり以前から形成されていた議論というよりは安保法制懇の中で急浮上した論点で、高村副総裁もそれが説得力があると思い言及していたが、肝心の閣議決定では取り上げられなかったというのが正確なところでしょうか…。この問題については引き続き考えていきたいと思います。