大学院法学研究院 准教授
大賀 哲

戦後70年談話

2015.08.24

戦後70年談話

遅ればせながら戦後70年談話について。8月14日、安倍総理大臣は「戦後70年」の総理大臣談話を発表しました(官邸のページはこちら)。

Twitterでも繰り返し書いてきましたが、私の評価は、低評価というよりも採点不能に近いです。内容が極めて抽象的で具体的な言及を避けているため、この談話自体から何かを評価したり、批判したりすることは極めて難しい、そういう特質があるのではないかと思います。聴いた印象は、好意的な人は好意的に評価するだろうし、ネガティブな人はネガティブに評価するだろう…という感じです。談話自体が一般論に終始しているので肯定的にも否定的にも読めるわけで、談話に至るまでの普段の首相に対する評価が「談話への評価」になっているように思いました。実際、談話を支持あるいは批判している人たちの議論も、談話自体を評価しているというよりは、その人たちが「既に持っている安倍首相へのスタンス」が「談話への評価」になっているように思います(これは一般論をとりあえずカバーしておくという今回の談話の性質上、当然そうなると思います)。

「減点がない」という意味では評価できるのかもしれませんし、「加点がない」という意味では発表しなくても良かった談話なのかもしれません。「大きな成果はない」ことを重視する人たちからすれば今回の談話には否定的にならざるをえないし、「失敗はない」ということを評価する人たちからすれば支持することができる―つまり、総理談話という政治的な「場」をどのように位置づけるかによって「談話の政治」への評価が変わってくる(それは談話自体の評価とは微妙にずれているように思います)、ということなのではないかと思います(この点は後述します)。

以上が総評ですが、以下簡単にではありますが、適宜内容にも踏み込みながら今回の総理談話の特徴や問題点を考えてみたいと思います。

リアクション―「リベラル受け」と「中道右派」の支持
リアクションという意味で言うと、賛否両論大きく分かれていました。すでに多くの方が指摘、議論をしており論点も多岐にわたっておりますが、基本的な反応としては、比較的中道層には支持され、左右両端には不支持が多いように思います。メディアやネットでの反応を見るところ、真ん中及びちょい右ちょい左くらいの人たちからは支持されていて、相対的に右からの支持が多い、但し極右は不支持、左翼・リベラルも不支持という構図があるように感じました。

また、スピーチ自体が「リベラル受け」をかなり意識したような内容なので、右からは支持し難い、左からはやや物足りない、生ぬるいという反応ではないかと思います。海外の反応もこれと同様で、中国、韓国を除いて、海外の政府(アジア、欧米)は基本的には歓迎ムードが目立っています。細かい論点はあるものの大枠では大きな抵抗はないように思います。中国、韓国は反発していますが、大きな反論があるわけではないようです。ここでもやはり悪くはないが不十分という反応です。

政府と比べると海外メディアはやや批判的ですが、これもつまりは、生ぬるい、不十分という論点です。あとは海外メディアで言うと、全国戦没者追悼式で天皇陛下がより明示的に謝罪を打ち出したこととの対比で(天皇陛下おことばはこちら)、総理談話を否定的に捉えている報道が若干目立つくらいではないかと思います。

天皇陛下のお言葉の影響もあると思いますが、「リベラル受け」を狙ったんだけれども、結果として支持してくれたのは「中道右派」ということなのではないかと思います。

「明確な失点」はない
また、「明確な失点がなかった」という点を評価するのであれば評価に値するし、中韓もそこに大きな違和感はないだろうとは思います。少なくとも猛烈な抗議を招くという性質の談話が出されなかっただけでも、とりあえずは評価できなくはないのかなとは思います(もっとも「明確な失点がなかった」については論争的ではあると思います)。

他方で、「明確な失点がなかった」という点をやや辛口に評価すれば、キーワードが随所に散りばめられ、総花的なメッセージを目指してはいるものの、具体的で踏み込んだ検証がないので、「減点しずらいできの悪いレポート」に酷似していると言えるのかもしれません。このような「具体的に踏み込んだ検証がない、でも見かけはそれなり」という点を肯定的に読むか、批判的に読むかという問題なのかなと思います。

ただ少なくとも、広島の平和祈念式典、またこの間あったような自民党議員たちの重ね重ねの不用意な発言のような「明確な失点」はなかったと言えるのかもしれません。この点を評価するかどうかは上記のように微妙なところではありますが、他方で歴史修正主義が前面に出されていないという点は評価しても良いと思います。英語圏のメディアなどでは安倍総理=歴史修正主義者という評価が半ば定着しているわけで、たとえばここで侵略を否定するような発言をしていたら火だるまになっていたことでしょう。ただここは総理の独自見解を出さずに、歴史修正主義を抑えた談話となったことで、もしかしたら、「安倍総理は歴史修正主義者」というイメージを払拭することにつながったのかもしれません。私はこの点は唯一今回の談話で評価しうる要素だと思います。

間接話法と霞が関文学
これも既に数多く指摘されていますが、安倍首相ないし日本国政府が「能動的に『お詫び』をしている」箇所はありません。殆どが間接話法。官僚文書として名高い霞が関文学です(その分、批判されにくい内容になっていると思いますが…)。

「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。」「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」という文章がありますが、これらはいずれも主語が欠落しており、英語版では「We」となっています。したがって、当該部分は「~してはならない」という一般論の提示であって、自らの過ちを積極的に認めているわけではないという解釈も成り立ちます。これは上記のような文章の主語を「日本政府」ととるか、「人類全体」「国際社会」ととるかで変わってきます。

また「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。」「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。」という部分もあります。これも評価が分かれるところですが、歴代内閣の立場を「踏襲」しているかのようにも読めますが、歴代内閣の歴史認識を「引用」したに過ぎず、それを以て「踏襲」と言えるかどうかは微妙…という解釈も恐らく成り立つでしょう。要するに直接的な言及を徹底的に避けているわけです。

またこれも話題になった箇所ですが、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という部分があります。これはおそらく正論…というか正論に聞こえる言葉だと思います。しかし国家レベルの問題と個人レベルの問題が混同されているように思います。なぜならば、私たち個人個人のレベルで謝罪を続けなければならないという問題と、国家間の対外関係において謝罪を続けなければならないというのは当然に別の問題で、前者を根拠として後者を否定することはできません。

文脈の問題
ここでもう一度文脈の問題に立ち返ってみましょう。 結局は総理談話という政治的な「場」をどのように定義するかによって変わってくるでしょう。これを何らかの目的を達成するための政治的なイベントではなく、単なる儀礼的なセレモニーと考えるのであれば、まあ評価は高くなるのではないかと思います。たとえばこれが国連総会とかサミットでの声明とかセレモニカルな場でのスピーチだったら相当レベル高いでしょう。ただ、これだけ国内外の注目を集め、安保法案や今後の外交政策にとっての「方針を打ち出す」(国内的にも国際的にも)という場での発言と捉えると、やや「お茶を濁した」感が強いのではないかと思います。「談話」自体が相当ハイコンテクストで、これまでの歴史認識問題とか従来の談話の継承とかそういうコンテクストを知ってる人たちからすれば論点ぼかし過ぎてて拍子抜けするような内容でしょうし、逆にそういうコンテクストを知らない欧米諸国から見れば「まずまず」に見えるのではないかと思います(だからまあ欧米政府の談話に対する評価が高いのもまあ納得できます)。

積極的平和主義と「中国への布石」
国内的には支持率の急落と安保反対運動の高揚、国際的には従軍慰安婦や歴史認識問題に米中関係と課題山積の中で、前者については政権批判が強まり、後者についてはアメリカ寄りの姿勢がやはり非難されているというのが日本の現状です。そう考えると、今回の談話はそうした潮目を変える絶好の機会だったわけで、これを曖昧な言葉で様子見してしまったことは、談話自体としてはともかくも、外交全体でみると長期的には微妙なのかなと思います。談話では最後に、自由・民主主義・人権などの国際社会の基本的価値について触れています。ここは「積極的平和主義」を肯定するとともに、(中国などに見られるような)「力による現状変更」を認めないという意思表示を行うことで、「中国への布石」とすることができたわけですが、ここをやや曖昧にしているため「積極的平和主義」の議論そのものがぼやけてしまっています。国際秩序へ誤った挑戦をした日本の行為を反省するとともに、今後はいかなるかたちにせよ国際秩序からの逸脱者、落後者をこの地域から出さないようにする、そのためにアジア太平洋の地域協力を推し進めていくという明確なコミットメントが欲しかったように思います。

おわりに
以上のように見ていくと、確かに明確な失点はなく、歴史修正主義がかなり抑制されたことは評価に値するのかもしれません。但し、安保法案に対しての反対運動の高まり、歴史認識問題や南シナ海での中国の動向など、国内的にも国際的にも問題が多い中で、「失点がない」程度の談話で果たして発表する意味があったのだろうか、という気もします。とくに日中韓の冷え切った関係を仕切り直しする最良の機会であっただけに、その機会を逸したことは今後大きな影響として現れそうです。歴史修正主義を抑制することに止まらず、国際関係の秩序や安定についてもより広い視野での指針が示されていると良かったのではないかと思います。


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