2017.03.23
少しの間お休みしておりましたが、西日本新聞・日曜日の書評欄を担当させていただくことになりました。
第一弾は西田亮介著『不寛容の本質』(経済界新書)。3月26日(日)掲載予定。
第二弾は稲葉振一郎『政治の理論』(中公叢書)。4月2日(日)掲載予定。
(いまの自分の問題意識から読むと、と言うことですが)二冊ともいまの社会の停滞をそれぞれ別の視角から捉えていてかなり示唆的でした。それは一言で言えば、「社会インフラとしてのデモクラシー(または政治)」という論点に示されているのではないかと思います。
稲葉さんにはまず「政策⇒市民社会⇒政治」という循環構造の認識があり、そのなかで「政治」の位相が忘却されているという問題意識があります。敢えてこの稲葉さんの問題意識に即して捉えるならば、西田さんにはその構造のなかでもとくに「政治を支える市民社会」の動揺が《昭和の面影》として焦点化されているということになるかと思います。
さらに踏み込んで言えば、稲葉さんは「政治」を成立させる条件として財産・生活の保障を論じるわけですが、西田さんにはその前提自体が掘り崩されている―「成長」と「安定」の時代にはもう戻れないが、「自由」と「競争」だけでは従来あったような社会基盤を維持することはできない、その意味で認識(成長・安定)と現実(自由・競争)の乖離が進んでいる―という問題意識があるように思います。稲葉さんが言うように、「政治」の構造が重要でありそのためには最低限の経済的・生活的保障がなければならないというのは正論なのですが、しかし、経済的・社会的リソースが減少する中でいかに「政治」を維持するか、というのが西田さんの問題意識であるように思います。デモクラシーを成り立たせる経済的条件についての一般理論(稲葉)とその個別事例としての昭和・日本(西田)と対置できるのかもしれません。それぞれが興味深い論点を数多く含んでいますが、併せて読むと更に興味深い、そんな二冊ではないかと思います。