大学院法学研究院 准教授
大賀 哲

「能力主義」という言説

2015.04.24

20150424

数日前にtwitterで話題になったのでちょっと書いてみました。twitterでは「才能が必要と考えられている分野ほど女性研究者の比率が低い」というブログ記事が話題になっていました。まずは該当のブログ記事を見てみましょう。

元ネタは『サイエンス』に掲載された” Expectations of brilliance underlie gender distributions across academic disciplines “という論文で、ブログの冒頭では次のように記載されています。

STEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics)といういわゆる「理系」の分野では、研究者に女性が占める割合が低いといわれてきた。また社会科学系・人文系の分野でも女性研究者の比率が少ない分野がある(経済学や哲学)。この原因をめぐってはさまざまな議論がなされてきたが、この論文はさまざまな仮説を比較して、〈「ある分野で研究者として成功するには才能が重要である」とその分野の研究者が考えている程度〉が、その分野のPh.D.の中に女性が占めている割合と相関しており、その分散をよく説明していることを主張する。これがなぜ重要かというと、多くの人はこれと同時に「女性は知的才能において男性よりも劣っている」というステレオタイプを抱いており、これが上の考えと結びつくと「女性は男性よりもこの分野で成功できない」という考えに至るからである。

このブログ記事と元論文の紹介は以上なのですが、折角なのでこの問題について少し考えてみたいと思います。ここで指摘されていることは、かいつまんで言うと「才能が重要である」という言説(以下これを「能力主義」と呼びます)はそれ自体としては妥当でも、実際に個々の能力を判断したり評価したりする場合には「○○という集団は相対的に能力が高い、△△という集団は相対的に能力が低い」などのようなステレオタイプが入り込む余地は非常に大きい、ということだと思います。

さらに言えば、個人の能力が相対的に高くとも「能力が低い」と思われている集団に属している人、個人の能力が相対的に低くとも「能力が高い」と思われている集団に属している人たちというのはそれぞれ一定程度存在しているでしょうから、おそらくこれはジェンダーや人種だけではなく、出身地、学歴、世代、性格など幅広く応用できな枠組みではあります。

たとえば、ある人の能力を評価する際(採用や昇進など)、該当する「すべての業績、実績、能力、ポテンシャルなど」を検証することは物理的に不可能ですから、どうしてもすでに形成されている「評判」やステレオタイプなど、厳密には能力と関係性の薄い要因が関わってくることになります。能力主義という枠組みでは、こうしたステレオタイプを完全に排除することはおそらく相当に困難でしょう。とくに研究者の場合は、純粋な能力もさることながら、「上からの引き」とか「人事権者の裁量」という部分がかなり大きいので(少なくともキャリアの初期においては)、やはり属人的な評判とかステレオタイプに左右されることになります。

逆に、医師や弁護士など「試験制度をベースとした職業」では相対的に女性比率が高いと言われていますが、それは客観指標の比重が大きい分、「女性は男性よりも能力が低い傾向がある」などのステレオタイプが入り込む余地が少ない、ということも影響しているのでしょう。

以上のことを考えてみると、「能力主義」という言説は結構危ういもので、能力主義と言っても実際には、「評判」だったり、その人の属性から来る「ステレオタイプ」の影響力がかなり大きくなってしまう。そう考えると、仕事というのは「能力」を「評判」に換金していくゲームなのかもしれませんが、「能力主義」という言葉に過剰な期待を寄せるのはとても危ういのではないかという気がします。


コメントを残す

Required:

Required:

Required: