大学院法学研究院 准教授
大賀 哲

研究不正と倫理教育

2015.05.26

575645_640例の小保方事件以来、研究不正と倫理教育という問題が研究界に暗い影を落としているように思います。不正を行った一握りの人たちのために、まっとうに研究をしているその他大勢の人たちのチェックが増える、手続きが増える、本来の研究とは関係のない仕事が増える…というのは冗談ではないのですが、こればかりは仕方がないのかもしれません。

学内のプログラムで「研究倫理及びコンプライアンス教育研修会」なるものがあって、e-learningで受けられるようになっています(受けなくてはならないのですが…)。遅ればせながら先日これを受けてみました。これは、2月に部局長クラスを対象にした行われた研修会をe-learningでも受講できるようにしたものらしいです。

その中に​「研究者に求められる行動規範―全ての研究者にグローバル・スタンダードを」というスライドと動画がありました。講師の先生はとある大学の先生だったのですが、同時に研究者向けの倫理教育を行っている団体(その先生の大学もその団体に所属している)で役員をされている方のようでした。

実はこのスライドに私はかなり違和感がありました。このスライドではまず、「研究不正」として​捏造・改竄・盗用などの「特定不正行為」を挙げ、さらに「不適切行為」というのを挙げています(個人的には、『研究不正』の中に「特定不正行為」と「不適切行為」というカテゴリーがあるのか、それとも『不適切行為』という大きなカテゴリーの中に「研究不正」「特定不正行為」というカテゴリーがあるのかがよく分からなかった、というか両方の解釈が成り立つような構成になっていたように感じました)。肝心の不適切行為は何かと言うと、​​データの曲解、ライバル研究者への妨害行為、公的資金の浪費、オーサーシップの政治的利用、公的資金審査における利益誘導、利益相反状況の無視・軽視、科学性の軽視・誇大発表への加担、節度を欠く内部告発、社会的弱者からの搾取、倫理教育への消極的姿勢などだそうです。

この時点でかなり違和感は強くなります。というのは文科省のガイドラインからあまりにも逸脱しているように感じられたからです。​文部科学省の研究不正ガイドライン(2014年8月26)では捏造・改竄・盗用を「特定不正行為」としています。その上で、「このほか、他の学術誌等に既発表又は投稿中の論文と本質的に同じ論文を投稿する二重投稿、論文著作者が適正に公表されない不適切なオーサーシップなどが不正行為として認識されるようになってきている。」(4頁)と述べています。

また、文科省「『研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン』に係る質問と回答(FAQ)」を見ると、Q1-3とA1-3 でこの点に触れていて、特定不正行為以外の不正行為の範囲(二重投稿・オーサーシップの在り方等)については日本学術会議に審議を依頼と書かれていました。

というわけで、​日本学術会議​「科学研究における健全性の向上について​」を参照します。これを見ると2~4頁に二重投稿とオーサーシップについての回答がありました。オーサーシップの項目では「著者」の要件を厳しく定め、二重投稿のほうは既論文と「本質的に同一の内容の原稿をオリジナル論文として投稿する行為」がダメだと書いてあります。そして、学術誌ごとに規程を明確化する必要があると述べていてその例として日本教育工学会の投稿規程が転載されていました。「英文で発表した論文の内容を改めて和文論文として発表すること(あるいはその逆)」については、学会誌ごとにルールは異なるが、既論文と投稿論文の差異を明示することを求めているようです。

話を戻すと、文科省ガイドライン/学術会議回答における研究不正とは、特定不正行為とそれ以外の行為としてのオーサーシップの問題と二重投稿を示唆されているわけですが、上記のスライド資料にあった「不適切行為」とは内容がかなりずれています。たとえば、「ライバル研究者への妨害行為」「公的資金の浪費」「オーサーシップの政治的利用」「科学性の軽視」「節度を欠く内部告発」「倫理教育への消極的姿勢」などが問題だということにはもちろん同意しますが、そもそもその基準がはっきりしないし、捏造・改竄・盗用などの「特定不正行為」とは明確に区別されるべきだろうと思います。さらに言えば、「不適切行為」と称して、本来は「研究不正」ではない問題を研究不正として取り上げるというのは、狭義の研究不正(特定不正行為)の深刻性・重大性を相対化してしまうことにならないだろうか…とも思います。

実は、このスライドの問題は他にもあって、出典明示がなかったのです。私個人は研究不正の専門家でも何でもなく、上に書いてあることはネットでちょっと調べればでてくる程度の資料です。しかし、所謂「研究不正の専門家」とされている方のスライドで出典が示されておらず、しかも良く調べてみると文科省/学術会議のガイドライン・回答と内容が乖離しているというのはどうでしょうか。個人的にはやはり、研究者を相手に「研究不正」の話をする以上、出典は明示して欲しいとは思います。研究者にとって「研究不正」の話はまさに「人生を棒に振るかもしれない問題」なわけで、それを経験則や感覚で話されたらたまらない!というのは誰しも共通する思いではないでしょうか。まあ今回のは受動的に聴けばいい、読めばいいというものだったからたいしたことはないんだけど、こちらとしては講義の準備とか〆切迫ってる論文とか、そういうのを一時中断してFD研修的なものに時間を割いているので、大学としては組織的に内容をもう少し精査して欲しいとは思います。

蛇足ですが、二重投稿に関連して、「英文で発表した論文の内容を改めて和文論文として発表すること(あるいはその逆)」はそれ自体で即NG(つまり二重投稿!)というようなことを仰る方がいますが、少なくとも人文社会科学系の研究でこれはありえないと思っています。何故かというと、人文社会科学というのは人間や社会を対象にした研究で、国が違えば先行研究の蓄積が質量ともに全然違います。たとえば、「安倍内閣における政治的リアリズム」というテーマで論文を書いたとしましょう。当然のことながら、日本における日本政治研究とアメリカにおける日本政治研究はイコールではないです。先行研究の蓄積は相応に異なります。安倍内閣についての研究も政治的リアリズムについての研究も異なるわけです。したがって、まったく同じ研究をして同じ研究成果を論文にするにしても、言語が違えば(つまりオーディエンスが違うわけだから)前提とすべき/克服すべき先行研究が全然違うわけで、少なくとも機械的に日本語を英語にすればよい(または逆)という単純な話ではないのです。英語の論文を日本語で書き改めて、「本質的に同一の内容の原稿」となることはないです。

この関連で、「英文で発表した論文を改めて和文論文として発表して、業績を水増ししている」という言説もよく耳にするのですが、人文社会科学でそういうケースは殆どないのではないだろうかと思います。ある主題である論文を書き(仮にA論文)、更にそれを外国語で書き改めた(B論文)、という場合にA論文とB論文が「本質的に同一の内容の原稿」となる可能性は限りなくゼロに近い…と思います。人文社会科学の場合、先行研究という「文脈」があるため必然的にそうなります。

無論、私たち研究者には「研究不正をしてはならない」という責任と義務があります。しかし、それ以上に何が研究不正で何が研究不正でないのか、その線引きを各人がしっかりと持っていなければならないと思います。グレーなものはなんでも研究不正っていう態度はむしろ、研究不正本来の深刻性、重大性を相対化、形骸化させてしまう怖ろしい兆候ではないでしょうか。学内のe-learning研修を受けていてそんなことを考えてみました。


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