大学院法学研究院 准教授
大賀 哲

「憲法の番人は最高裁であって憲法学者ではない」

2015.06.17

201506176月11日の衆議院・憲法審査会での高村副総裁の発言が話題になっています(ニュース報道 国会中継)。「憲法の番人は最高裁であって憲法学者ではない」と言っています。さらに、「私たちは憲法を遵守する義務があり、憲法の番人である最高裁判決で示された法理に従って国民の生命と平和な暮らしを守り抜くために、自衛のための必要な措置がなんであるかについて考え抜く責務があります。これを行うのは憲法学者ではなく我々のような政治家なのです。」とまで言っています。

これらの命題は、言葉の実質的な意味、厳密な意味としては必ずしも間違いではありません。政治的意思決定を行うのは学者ではありません。学者にはそのような特権的な立場は最初から期待されていません。問題はこういう発言自体にあるのではなく、「だから憲法学者の言うことなど聞く必要はない」という文脈でこういう発言をしていることです。

どういうことかと言うと、政治的な意思決定は国会議員が行います。これは当たり前です。しかし、国会議員だけで森羅万象すべてに通じることなど不可能ですから、国会に専門家を招致して専門的意見を聴取するわけです。専門的意見を聴取した上で、意思決定を行うのが国会議員の役割です。しかし、今回の場合は6月4日に憲法学の専門家を3人招致しました。この日のテーマは日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(憲法保障をめぐる諸問題(「立憲主義、改正の限界及び制定経緯」並びに「違憲立法審査の在り方」))(国会中継)。ところが、ここでハプニングが起こります。たまたま民主党の議員が安保法制について質問したところ、憲法学の専門家がそろいもそろって「違憲」であると回答しました。

もちろん、憲法学の専門家は国会議員ではありませんから、彼らの判断が何らかの政治的・法的拘束力を生み出すわけではありません。しかし、仮にも専門家を招致しているわけですから、その意見とまったく反対の(つまり専門家の意見をまったく踏まえない)意思決定をするのであれば、それ相応の「合理的説明」が必要になる、と考えるのが自然ではないでしょうか。

にも拘わらず、合理的説明をするどころか、「憲法の番人は最高裁であって憲法学者ではない!」、「〔意思決定を行うのは〕憲法学者ではなく我々のような政治家」などという主張に終始しています。しかも、この発言は明らかに「だから憲法学者の言うことなど聞く必要はない」という文脈を意識しています。

何が言いたいかと言うと、①憲法の番人は最高裁であって憲法学者ではない!意思決定を行うのは憲法学者ではなく我々のような政治家であるという一般的な主張を、②だから憲法学者の言うことなど聞く必要はない!という具体的な文脈を意図して行っていることが問題なのです。おそらく①に賛同する人はいても、②に積極的に賛同する人は少ないのではないでしょうか。

例えば、①と②をそれぞれ別々の主張として行うのならばともかく、②の主張を隠して①の主張を行っているので、実際には①には賛同するが②には賛同しないということがありえます。ところが、②の文脈については具体的に述べていないので、表面的な発言としては至極もっともなことを言っているように聞こえてしまいます。言い換えると、②の具体的な命題に賛同するか否かという問題を、①の一般論に賛成するか否かという問題にすり替えているのです。これは「文脈を隠す」という典型的なテクニックで、高村氏は①であるから、したがって②であるということをきちんと述べるべきだと思います。

それから仮に②の主張、だから憲法学者の言うことなど聞く必要はないという主張が正しかったとしましょう。だとすると、自民党はわざわざお金と時間をつかって、「聞く必要のない」専門家の意見を聴取したということになります。これほど国民を愚弄した話はないのではないでしょうか。

先ほども述べたように、まず高村氏は「専門家の意見」に賛同しない合理的な理由を説明すべきなのです。それを説明した上で、「最終的な決定は国会議員がします!」と言えばこれはとても説得力があります。専門家を呼びつけておいて、何の説明もなく、専門家の意見等聞くに値しないなどと言うものだから(しかも肝心の文脈を隠して!)、そういうところに批判が集中するのではないでしょうか。専門家に意見を聴取する、ということの意味をぜひゆっくりと考え直して欲しいと思います。

 


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