2015.05.1
こちらも先日の西日本新聞で書評をさせていただきました。400頁を超える骨太の一冊です。戦後保守政治における「アジア」という問題を、保守政治家たちの言説から紐解いていきます。保守といってももちろん、一枚岩ではありません。憲法改正や安全保障をめぐるタカ派とハト派の対立だけではなく、親米と反米、中国派と台湾派、韓国や東南アジアとの関係など多様な争点が冷戦下の日本政治を支配していました。保守の厚みと拡がりを余すところなく描写する本書の重厚な記述には圧倒されます。
ジャーナリストとしての筆者の知見を活かして、詳細かつ大胆な議論が展開されます。とりわけ、岸信介と安倍晋三の対比は見事で、後者にはアジア主義的な問題意識が欠けていると筆者は述べます。値観外交などアメリカへの共感が前面にですぎており、アジアに寄り添う姿勢が欠けているというのです。たしかにアジアとアメリカ、両者の調和を志向し、バランスをとってきた伝統的な日本の外交路線に比して、現政権の政策からはアジアが忘却されているようにも思えます。このように、常に過去との対比の中で現在を捉えるという視座には本当に頭が下がります。
このようにやや長期的な視座から「アジア」という問題を考えたとき、そこに広がる光景は無論現在のごくごく短期的な見取り図とは異なったものとなります。戦後保守政治の中でのアジアをめぐる路線対立は実に多様なもので、むしろ保守にはもともとさまざまな思想が同居し、それを認め合う寛容さがありました。そうした多様性のせめぎ合いの中で「保守思想」というものが形成されてきたのです。対して、ここがまさに筆者が警鐘を鳴らす点でもありますが、近年の保守言論はややナショナリスティックに、あるいは排外主義的に画一化されてしまっており、本来保守が持っていたはずの多種多様性が損なわれているといいます。これはおそらく否定しがたい問題でしょう。筆者が言うように、戦後政治にとってアジアとは何だったのか?保守とは何なのか?ということを改めて考えてみる必要がありそうです。戦後70年の転機に相応しい一冊です。