大学院法学研究院 准教授
大賀 哲

遠藤乾「安全保障法制:脅しと安心の配分は?」(毎日新聞)

2015.06.25

20150625少し古い記事ですが、毎日新聞に掲載された北海道大学の遠藤先生の小論です。先日取り上げた藤原先生石田先生とはまた別の視点で安保法制の問題を論じています。キーワードは「抑止」と「安全供与」です。

概要としては次のような論点が挙げられています:①安全保障政策の根本を「脅す」ことと「安心させる」ことである(抑止と安全供与)。②安倍政権は抑止一辺倒。安全供与を後退させている。③自国の認識と相手国の認識の乖離にも注意を払わなければならない。④集団的自衛権、リベラル・デモクラシーの劣化、歴史認識問題は安心供与の観点からはすべてネガティブな帰結をもたらす。⑤安全保障の議論を一部の専門家に任せておくのはまずい。

まず本論では対外政策を抑止と安心供与(reassurance)という観点から論じています。これはとくに意外なものではなく、冷戦期の、とくに緊張緩和以降の安全保障政策はむしろ信頼醸成や予防外交のコンテクストで語られてきたという側面が少なからず認められますし、冷戦構造の崩壊以降は紛争予防における安心供与の要請が非常に強くなっていきます。「脅すこと」と「安心させること」という二本立てで対外政策を考えるというのはむしろ自然なことですし、細かな言葉の違いを考えなければ、抑止と安全供与という考え方自体は19世紀以前の伝統的な古典外交の時代から存在していたと考えることもできるでしょう。

本論に戻りますと、安全保障政策の中核は抑止と安全供与である、にもかかわらず、現政権には後者の観点が欠けているというわけです。本来、抑止と安心供与は相互排他的なものではなく、二本立てで両立させつつ(たとえば、こちらからは何もしないけどやられたらやり返しますよという戦略など)、その時々の状況で個別の戦略を柔軟に変容させていくべきものです。

また、これは石田先生の論考にも出てきた議論ですが、抑止や安心供与という概念は、客観的な状況だけではなく、自他の「認識」に依存しています。すなわち、こちら側の「意図」を正しく伝え、相手側の「意図」を正しく認識することが必要不可欠です。このことは逆に言えば、自己のメッセージが誤って伝わってしまうリスク、相手側のメッセージを誤って受け取ってしまうことにリスクを考慮しなければなりません。この点でも現政権の対応はやや安全保障上の対応に傾斜し過ぎており、ややバランスを欠いている面があることは否めません。

さらに安心供与の観点から言えば、現政権の進めている集団的自衛権の行使容認や歴史認識問題の軽視はネガティブな帰結を生み出します。周辺諸国に対して非友好的なメッセージを与えてしまうからです。さらに、報道機関へ圧力をかける、沖縄に基地を押し付ける、加えて世論や野党の懸念を無視した政局運営などリベラル・デモクラシーの劣化ととられかねない状況が継続することは、周辺国には安心ではなく脅威を与えることになります。

その意味で、安心供与というのは日本という国が、その対外政策を通じてどのようなメッセージを世界に向けて発信していくのかという課題でもあるので、これを専門家に任せておくのは危ういのではないかというという結論へと導かれていきます(もちろん、どこまでが専門性の問題で、どこかからが国民一般に関わる問題なのかというのは非常に難しい問題です。この点については後日改めて論じたいと思います)。安全保障を一部の専門家に任せておくのではなく国民的な議論を喚起するという意味で、時宜に適ったメッセージが内包されていたのではないかと思います。

最後に、蛇足ながら東アジア情勢について考えてみましょう。信頼醸成措置や予防外交というまさに安心供与のアプローチは1990年代以降しきりに行われてきました。ただ、これはミャンマーや北朝鮮に対してさえ成功しているとは言い難いという側面もあり、国連・G8・OECDあたりのグローバルな枠組みとAPEC、ASEAN、ARF、EASなどのリージョナルな枠組みを使った長期的アプローチが必要となるでしょう。南シナ海の情勢が予断を許さないことは言うまでもありませんが、問題は安全保障だけではなく、アジアインフラ投資銀行(AIIB)における中国のヘゲモニーの問題など課題が山積しています。そうであるならば、外交交渉を通じた多数派工作や正統性、信頼性を確保するための努力が欠かせません。防衛力を強化するだけではなく、外交力の強化を通じて日本の信頼性を高めていかなければなりません。その意味では、諸外国に日本の立場を理解してもらう、諸外国から支持を調達する必要があります。権力政治だけでなく「評判政治」という視点から情勢を大局的に判断する必要があります。

米中関係について言えば、これはチキンレースのような側面もあり、中国はどこまでやったらアメリカが出てくるか探ってるでしょうし、アメリカはどこまでだったら(直接手を出さなくても)中国を抑止可能かをはかっているでしょうから、仮に日本が集団的自衛権の行使を容認したくらいでは、中国に対してのブレーキにはならないでしょう。また、逆に集団的自衛権認めたら、アメリカが嬉々として状況打開に動いてくれるかと言うと、アメリカとしては同盟国に抑止や封じ込めを肩代わりしてもらいたいと思っているわけで、アメリカの関与が少なくなることはあっても増えることはなさそうです。これもまた状況を複数の視点から見つめていく必要があります。

 


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