大学院法学研究院 准教授
大賀 哲

西田亮介『メディアと自民党』(角川新書、2015年)

2016.05.20

メディアと自民党 (角川新書)随分前にご献本いただきました。最近いろんなところでご活躍の西田亮介さんの著作。かなり時間が経ってしまいましたが(すみません!)、論点を整理しながらご紹介させていただきたいと思います。

2000年代以降の自民党のメディア戦略の変容をコンパクトに論じた研究です。最近の自民党は、言論統制を肯定するような発言など一見メディアを圧迫しているように見える。しかし、それは表面的な理解で、実はとても巧く使っているのだというところから話は始まります。政治、有権者、メディアという三つのステークホルダーの関係がとりわけ2000年代以降変化してきているので、その「ゲームのルール」の変化を捉えなければならない、という著者の一貫した問題意識が伝わってきます。

全体としてかなり分かりやすい本です。最近、ありがちな「中身はないけど分かりやすい」という本ではなくて、紙幅の限られている中で、歴史的、理論的背景を概観し、先行研究を紹介し、読者に優しい本と言ったほうが良いかもしれません。

本書では2000年代以前(慣れ親しみの時代)、2000年代(移行と試行錯誤の時代)、2012年以降(対立・コントロール期)という時代区分を用いています。前述の政治、有権者、メディアという三者関係で言えば、かつては政治→(メディア)→有権者という関係があって、とくにネット以前の時代というのはメディアを介して政治を知る、メディアがフィルターとして機能していた(電通などの広告代理店の役割も見逃せない)と述べています。メディアというのは、ジャーナリズムであると同時にコンテンツ制作者でもあるわけで、この二つの要素は重なりあったり矛盾したりしながらも政治とメディアの関係を規定してきたというわけです。メディアの側から見ると、政治というのは「選挙」や「政局」というメディアにとって収益性の高いコンテンツを定期的に提供してくれる「美味しいビジネス」であるという側面があります。逆に政治の側から見ると、メディアは社会的な動員や支持の調達を可能にしてくれる有用なツールということになります。そうすると、必然的に政治とメディアの間で「独特」の関係が構築されることになります。このメディアと政治との間の相互依存的な関係が変わり始めてきた、むしろ政治のほうの力学が強くなってきたんじゃないかというのが本書の議論です(読んでいてふと思ったのですが、この辺の政治とメディアの関係については大石裕先生の『メディアの中の政治』(勁草書房、2014年)と読み比べてみると面白いかもしれません)。

では具体的にどういう変化があったのかというところに著者の鋭い問題意識を垣間見ることができますが、2013年がネット選挙解禁の年。同時期というのはスマホとSNSが爆発的に普及した時期でもあります。こうしたインフラの変化が徐々にではあるけれども、メディアと政治との関係にも徐々に波及していくわけです。

歴史的に振り返ると、95年にWindows95の発売、インターネットが普及しはじめます。さらに95年というのは阪神淡路大震災の年でもありますが、インターネットへの注目が集まっていきます。2000年代以降になると、従来の「勘による選挙」から「データ型選挙」へと選挙のやり方に変化が現れます。小泉以降になると「劇場型政治」とか「ワンフレーズ・ポリティックス」とか政治のあり方そのものにも変化が見られるようになってきます。

同様に、政治のコミュニケーション戦略も変化していきます。自民党内でその担い手になっていくのがNTT出身の世耕弘成氏。自民党としての、政党としてのプレスリリース導入など、独自のメディア戦略に乗り出していきます。しかし、まだこの時期は新しいメディア戦略と旧来型の広報手法とが並存しています。たとえば、莫大な広報費をばらまくといった従来型の広報手法だったり、「B層」マーケティング(小泉首相の支持基盤とされる「具体的なことは分からないが小泉首相のキャラクターを支持する層」)といった侮蔑的なグルーピングの横行やタウンミーティングなどでのやらせ問題など。逆にこれらが問題視されることによって、マーケティングのあり方がより洗練されたものへと変化していったとも言えるわけです。

その結果が「コミュニケーションの総力戦」であり、政党内のコミュニケーション戦略部門の内製化。2013年のネット選挙では、ネット選挙分析チームを組織して、SNSの監視等前の対策を講じています。同時にダッシュボードアプリを用いた選挙戦略のパッケージ化なども進む、関係者向けのクローズドなウェブサイトから選挙に必要な情報を配信していくということが行われるようになっていきます。

同時に、メディアと政治を取り巻く「ゲームのルール」も変わっていきます。政治の側がメディアを自らのプロモーションに活用する一方で、ゲームに乗らないということも戦略も選択可能となるわけです(その最たるものが、「朝まで生テレビ」への与党議員の出演キャンセル)。メディアの下部構造の変化(雑誌、新聞等のメディア媒体の弱体化)という要因もあるでしょう。政治の構造変化に対してメディアが対応しきれていないという状況分析へとつながっていきます。

…と、以上が簡単な要約なのですが、個人的には「政治とメディアの政治社会史」という文脈でこの議論を理解しました。他方で、政治学をやってるとおそらくこういう発想になるのですが、選挙制度改革を基点とした「政治改革のメディア史観」という理解の仕方もできるのではないかと感じました。何が言いたいのかというと、本書で述べられているようなメディア戦略の変容という議論は、選挙制度改革の文脈と接合可能なのではないかというのが読んでみて率直に感じた印象です。

中北浩爾先生が『自民党政治の変容』(NHKブックス、2014年)の中で論じておられますが、中選挙区制から小選挙区制への選挙制度改革は、党執行部の強力な指導体制と集権的な全国組織の確立など「党の近代化」という文脈で理解することができます(とりあえず、ひとまずは)。つまり、個人後援会を中心とした中選挙区制を廃して、党執行部が公認候補を選定する小選挙区制への移行という理解ですね。同時に、小選挙区制の下では当確ラインの得票率が高まりますので、無党派層が選挙の鍵を握るため、「選挙の顔」としての党首像が求められるようになります。

この種の議論はおそらく西田さんの議論とも親和的で、中選挙区制で後援会中心の組織選挙の下ではメディア戦略というのは相対的にそれほど重要ではなかったのかもしれませんが、小選挙区制になり無党派層の重要性が高まってくれば、無党派層を取り込むためのメディア戦略が重要になってくる。それ故にメディア戦略の位置づけが変化してきたと考えることができるのかもしれません。言うなれば、小選挙区制の導入という「ハードな変化」とメディア戦略の変容という「ソフトな変化」がセットになっているという理解です。これは、政治のメディア戦略という問題領域を「政治とメディア」というアクター間の関係として考えるか、「選挙制度の変容とメディア」という構造変化に際してアクターが活用する政治的資源の戦略的変化としてこの問題を考えるかによって視座が変わってくるでしょう。

西田さんの昨年末のインタビュー記事(自民党と代理店の陰謀は実在する?西田亮介氏と読み解く「メディアと政治」(BLOGOS編集部、2015年12月29日))などを読むと、アクターとしての政治とメディアの力学の変化といった論点に強い問題意識を感じました。選挙制度の変容という構造からではなく、政治アクターがいかに戦略的にメディアを活用してきたか、その戦略や認識はどのように変化してきたのかという視角は、より社会学的な(あるいは政治社会学的な)問題意識と言えるのかもしれません。

そういった社会学的な視角も含め、私にとっては非常に斬新で改めて勉強させていただきました。どうも有り難うございました(多謝)。

 


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